不倫相手をどうにかしたい人ほど、どうにもならない
「よくそこまでできましたね」
サレ妻さんからも
そうでない人からも
よく言われます。
夫の不倫が発覚してから
私は自分で張り込みをして
尾行をして証拠を集めて
最終的には自分一人で
裁判を起こしてやりきりました。
その過程は2019年の初めから
2022年の初夏まで続きました。
「なんでそこまでできるんですか?」
「どうして探偵に任せなかったんですか?」
「そこまでできるメンタルがすごいです」
「私にはそんなことできません」
たぶん、多くの人には
理解しにくいんだと思います。
でも私自身は、
「そんなにすごいことをした」
という感覚があまりないんですよね。
私は別に夫と不倫相手を
地獄に落としてやりたいとか
ギャフンと言わせたいとか
絶対に私が勝ってやるとか
そういう気持ちで証拠を
集めていたわけでもないし
そういう意図で慰謝料請求を
していたわけではなかったからです。
もちろん、怒りはありました。
不倫相手に対しては
「なんなんだ、こいつ」と
何回も思ったし
比較して落ち込んだり
時も山ほどあったし
「なんで私がこんな目に
遭わなきゃいけないの?」
「私の人生、終わった」
そんなふうに思っていた
時期も1年半くらいあります。
けど、
思いつくこととか
やりたいことを全部
やり切ったあとでも
自分の気持ちも現実も
どうにもならなければ最終
ころせばいいやと思ってました。
でも、そういう私の行動の
根っこにあったものは
「こいつらを負かしてやりたい」
「復讐してやりたい」ではなく
もっと別のもので
一番嫌だったのは
自分の目の前で
自分の人生で起きていることなのに
自分が何もわかっていない
っていうことだったんです。
何がどうなってこんな
状況になっているのか?
夫は何をしているのか?
不倫相手はどういう人なのか?
私は今どういう状況に
置かれているのか?
これからどうしたらいいのか?
何を選べばいいのか?
自分になにができるのか?
自分のことなのに
自分が状況を把握できていない。
自分の人生なのに
自分が何をしたらいいのか
全然わからない。
それがものすごく嫌だった。
だから私は全部を
「知りたい」と思ったんです。
何が起きているのか知りたいし
起きたことの真相を知りたい。
そして自分自身のことも知りたい。
私は何を望んでいるんだろう?
どうなったら納得できるんだろう?
どう生きたいんだろう?
本当はなにがほしいんだろう?
最初はそんなことすら
わかりませんでした。
だから目の前のこと
一つひとつをやるしかなかった。
「今はこれをやる」
「次はこれを調べる」
「とりあえずやってみる」
そんなふうに
一つずつ進んでいった。
だから私にとって
証拠集めも張り込みも、
尾行も、裁判も、
実は相手を倒すための
「戦い」みたいなものではなかった。
自分が納得できるところまで
自分の人生をやり切るための
行動だったんですよね。
で、多くのサレ妻は
夫も不倫相手も敵として
みなして向き合っている
んじゃないかなと思うんだけど
敵にする必要はないよ
って思うんですよね。
夫も不倫相手も、
それぞれの人生を
生きている人間で
価値観も考え方も違う。
そして、それぞれが
自分の人生の中で
経験していることがある。
経験したからといって
必ず学べるわけではないし
受け取らなければ
同じことを繰り返すこともある。
だから私は、相手を
どうにかすることよりも
「私はこの出来事から
何を受け取るんだろう」
というところに意識が向いていった。
そうすると、
自分のことがものすごく
多面的に深く見えてきた。
私は何を大切にしているのか。
何が嫌なのか。
本当はどう生きたいのか。
何を望んでいるのか。
不倫という出来事によって
感情はものすごく揺さぶられたけれど
その揺さぶられた感情こそが
自分を知るための材料だったんですよね。
「相手に勝ちたい」と思った瞬間
人生の主導権は相手にあります。
裁判は勝ち負けを争う場
っていうのは正しいと思うし
多分そういう場なんだろうけど
不貞の慰謝料請求なんて
争点は明らかだし
証拠があるんなら
勝訴は確定している。
確定しているものに
勝つぞ!と意気込んでも
出来レースみたいなもんで
その出来レースをいかに楽しく
望む展開を巻き起こしながら
進めて終わらせるか?
っていうのが裁判の楽しみ方だ。
でも裁判が終わったら?
相手が謝ったら終わる?
慰謝料を払われたら終わる?
相手が不幸になったら
自分は幸せになれる?
たぶん、そうじゃない。
「相手がどうなったら
私は満足できるのか?」を
目的にしている限り
自分の人生の主導権を
相手に渡しているんですよ。
相手が謝るかどうか
相手が苦しむかどうか
相手が後悔するかどうか
全部相手次第。
そんなものを
自分の幸せの条件にしたら、
一生終わらないです。
だから私は
「相手がどうなるか」ではなく
「私はどうしたら納得できるのか」
を目的にしていました。
ここがほかのサレ妻の末路と
大きく違うところだと思う。
先日、こんなDMを
もらったんです。
「さおりさんのように
思うようにやりたいけどできない。
こんな人たちと
同等になってしまいそう。
やってしまったら
自分が虚しくなりそう。
でも気持ちが収まらないです。
スピリチュアルの世界では、
良くも悪くもやったことは
返ってくると言いますよね。
なぜこんなにしんどい目に
遭わないといけないんでしょうか」
私はこの文章を読んだとき
「そこじゃないんだよな」と思いました。
スピリチュアルって
「何もしないで、いい人でいなさい」
「感謝してれば大丈夫〜」
っていう話ではないと思っていて
スピリット、魂、自分自身。
スピリチャルって
そのままの自分で
自分の本心を生きること
だと私は認識しているんですよね。
やりたいならやればいい。
やりたくないならやらなければいい。
大事なのって
「何をしたか」だけじゃなく
「どういう自分で、何を意図して
それをしたのか?」っていう
前提なんですよね。
同じ慰謝料請求という行動でも
「相手を苦しめてやりたい」
という気持ちからやるのと
「私はこの出来事を自分が
納得できる形で終わらせたい」
という気持ちからやるのでは
全然違う。
「やったことが返ってくる」
っていう言葉の意味も
何をやったかだけではなく
その根っこに何があるのかを
見る必要があると思っています。
そしてこれは
「相手を責める人」だけの話じゃない。
「私が悪かったのかな」
「私がもっとこうしていれば」
「私に魅力がなかったから」
こうやって自分を
責め続ける人もいて
これも同じこと。
これも、実は相手に
フォーカスしている状態で
「私が悪かったから相手が不倫した」
っていう考え方って
「私の行動によって
相手が行動を決めた」
ということでもあるから
どれだけ自分を
すごい人間だと思ってるの?
って話で
相手には相手の意思がある。
相手には相手の選択がある。
私には私の選択がある。
「相手を責める」のも
「全部自分のせいにする」のも
どちらも自分の人生から
意識が離れている。
大事なのは
「じゃあ、私はどうしたい?」です。
だから私は自分を知るために
証拠を集めて、張り込みして、
尾行して、裁判して、動いてたわけで
何かを見つけるたびに
何かが起きるたびに
「なるほど、そういうことか」
「じゃあ次はこうしよう」と
自分自身の理解を深めていった。
最終的には
「ここまでやった」
「やりたいこと全部やった」
「やり切ったな〜」
「もうなんでも大丈夫だ」って
自分で終わらせることができた。
私が欲しかったのは
自分が勝つことではないし
相手が謝罪することでもないし
相手が不幸になることでも
相手が後悔すればいいとかでもない
単純に、
自分の納得だったんです。
「私にはそんなことできません」
「そんなことしたら逆に訴えられるかも」
「捕まったらどうしよう」
そう言う人もいます。
でも、誰もあなたに
やれなんて命令していない。
やりたくないならやらなくていい。
やりたいならやればいい。
ただそれだけ。
自分は何のために
それをやりたいのか?
ということだけなんです。
相手を苦しめたい
ギャフンと言わせたい
地獄に落としたい
それが目的なら
確かに怖くなると思う。
自分も「相手を攻撃している」
っていう認識があるから。
でも「私は自分が納得したい」
「自分の身に何が起きたのか知りたい」
「自分の人生を自分で選びたい」
っていう目的での行動なら、
そもそも前提と発想が違う。
「何をするか」の前に
「何のためにするのか」がある。
私はそこがものすごく
大事だと思っています。
目の前に「問題」が起きたとき
その出来事そのものより
どこに自分の意識を向けて
いるかが大きいんだと思う。
相手が何をした。
相手が謝らない。
相手が得をしている。
相手が幸せそう。
そうやって相手を見続けるのか。
それとも、私は何を感じている?
私は何が嫌だった?
私はどうしたい?
私はどう生きたい?と、
自分に戻ってくるのか。
この違いです。
私は不倫をされたことで
もちろん傷つきました。
悲しかった。怒った。
自分の価値がわからなくなった。
でもその出来事を通して
「私はどう生きたいのか」を
徹底的に考えることになった。
だから今振り返ると、
あの出来事は私が自分自身を
ものすごく深く知るきっかけだった
とも思っています。
ここまで読んで
「じゃあ結局どうやって
自分にフォーカスを戻すの?」と
思った人もいるかもしれない。
実はここが一番難しいところで
「自分にフォーカスすればいい」
「自分がどうしたいか考えればいい」
なんていくらでも言える。
でも夫の不倫をされた直後は
そんな簡単にできるわけがない。
悲しい
腹が立つ
悔しい
不安
怖い
自分に自信がない
夫の言動が気になる
不倫相手のことが気になる
お金が心配
離婚したほうがいいのかもわからない
でも離婚するのも怖い。
そんな状態で
「自分らしく生きましょう」
と言われても
それができないから
困ってるんですけど!
って話なんですよね。
私もそうでした。
だから私の継続サポートでは
「こうしたほうがいいですよ」と
答えを渡すことだけを
しているわけではありません。
「本当はどうしたいのか?」
を一緒に見ていきます。
「私は何を望んでいるのか?」
「何が嫌なのか?」
「何を恐れているのか?」
「本当はどうなったら良いのか?」
「私はどんな人生を生きたいのか?」
っていうところを
自分自身で理解していく。
なぜなら、自分が
わからないまま選択すると
どちらを選んでも
後悔しやすいからです。
離婚したとしても
「本当にこれでよかったのかな」
と迷う。
離婚しなかったとしても
「私は我慢しているだけじゃないか」
と苦しくなる。
これではどんな
選択をしても苦しい。
だから「何を選ぶか」より先に
「自分が何を望んでいるのか」
を明確にすること。
そして自分の中にある思い込みを
一つずつ見つけていくことを
大切にしています。
そうすると
「あれ?私ずっと相手の人生を
基準にして生きてたんだな」と
気づく瞬間が来る。
そこから少しずつ
「私はどうしたい?」に戻っていく。
決めたら動いてみて
違ったら修正して
また考えて、また動く。
その繰り返しで
「私は自分で人生を選べる」
という感覚を取り戻していく。
これが「自立」だと
私は思っています。
夫に何をされても
平気になることでもないし
何でも一人でできるように
なることでもない。
傷ついた自分を
ちゃんと認めた上で
それでも
「私はどう生きたい?」を
自分に問い直せること。
そしてその答えを
自分の人生に反映させていけること。
それが自分の人生を取り戻していく
ということなんじゃないかなと思っています。
夫の不倫という出来事を
「人生を壊された出来事」
で終わらせるのか
「私はこれからどう生きたいのか」を
本気で考え自分の人生を選び直す
きっかけにするのか。
どちらを選ぶのかは、
自分で決められます。
もし今
「夫のことばかり考えてしまう」
「何をしたらいいのかわからない」
「もうこんな毎日から抜け出したい」
と思っているなら
自分自身と向き合わないと
その悩みからは解放されない。
自分にフォーカスを戻したとき
人生はちゃんと動き始めます。
自分の人生を変えられるのは
夫でも不倫相手でも弁護士でも
裁判所でも仕事でもないです。
「私はどうしたいのか?」
を決められるのは自分自身だけ。

