マインド

“見ないようにしてること”に向き合ったら、人生は動き出す

「LINEを見ても
傷つくだけだから、、」

「本当のことを知るのが、
愛されてないことを
強化してしまうから怖いです」

「LINEはもう見ないと決めたのに
また見てしまって落ち込んでます」

っていうサレ妻さん
めっちゃ多いけど、

私的には、
“見たいなら見ればいいのに”
としか思わないです。

“傷つくだけ”
なことがわかってるのに、

なんで、“傷つく”という
“ただそれだけ”のことを怖がって
避けているのか?

意味がわからない。
(いや、私もそうだったから
実際にはわかるんだけど。笑)

モヤモヤして気持ち悪い時間とか
気になって気になってしょうがない
もどかしさを感じ続けてる時間とか
自分の妄想で苦しんでる時間とか、、、

いつまで続くのかわからない
その時間を過ごす方がいいなら
ずっと動かないままで良いと思うけど

傷つくとわかってる数時間を
いつ過ごすかっていうのは
自分で決められることだし

本当に傷つくのかどうか?
実際どんなふうに思うのか?
っていうことも

自分が自分のことを
どう思っているか?によるので
何に傷つくかとか何にムカつくかも
自分の思い込み次第なんですよね

全部が思い込みのこの世界は
全部を選んでいけるこの世界で

いつまで続くのかわからない
苦痛や不安を現状維持しようと
しているより

さっさと現実っていう
ただの事実をそのまま見て

さっさと傷つけば良くない?

嫌だと感じるのはしょうがないし
自分がNGにしていることがあるから
傷つくっていう感情が発生する。

傷つくことの何が問題なのか?

現状が続くだけで、
何もどうにもならないなら、
何をどうしたらいいのかわからないなら、

傷つくのを先延ばしにする必要、
なくないですか?

何をどう思っても良くて、
何をどう感じてても大丈夫なんだから
別に傷ついとけば良くない?

これは、、
本当に怖いんだけど、
わかるんだけど、

傷つかないようにと
見て見ぬ振りしたり避けたり
回避する行動をとるのではなくて
(↑これが今までの自分のパターン)

“傷ついても大丈夫”
“何がどうなっても大丈夫”

そういう自分を構築していく方が、
残りの人生楽しく生きられると
私は思うんだよね。
(↑これからの自分の理想の在り方)

実際、私がそうだったから。

私は、夫と実親、兄弟に、
「お前なんてもういらない」
「一緒にいても意味がない」
「疫病神が」
「いうことを聞かないなら縁を切る」
「お金を出してくれないなら縁を切る」
「この知的障害者が」
などなど、

あまり人に向かって
言わないようなことを
たくさん直接言われてきまして、

義理の親からは
「あなたがここにいる意味はない」
「不法占拠者だから訴えます」
とかも言われましたね。

自分が信じてた人や
環境だったわけなので、
結構な衝撃だったし
大ダメージだったし
めっちゃ傷ついたし
悲しかったし寂しかったし

受け入れられなさすぎて
適応障害とパニック、うつ病になって
しばらく薬漬けでやつれて
廃人みたいになって
「消えてなくなりたい」って

一番大事な愛犬たちのご飯も
あげたかどうか忘れちゃうくらい
夫の不倫や家族関係に悩んで
ボロッボロでした。

「私はなんで、
なんのために、
生きているんだろう?」

「なんで、ここにいるんだろう?」

「誰にも、何にも
求められてないのに、、」

「人を不幸にするだけで
私は何にもできないのに」って

自分の存在意義がわからなくて
自分の人生に希望なんてなくて
無力で無価値な存在なんだって、
お先真っ暗で絶望してたけど

愛犬たちを守りたかったし、
私は私の幸せを諦めたくなかった。

で、結局、自分で自分を
なんとかする力を得られたし、
自分を自分で幸せにすることや
自分を楽しませて生きること、
自分次第で自由に楽しく幸せに
快適に生きられることを学んだ。

離婚しろとか出ていけとか、
お金を出してくれないと捨てるとか、
いろいろ言われてきたたけれども、

私がもう、
「誰の言うことも聞けない、、」
っていう状態になったことで

私のことをそんなふうに思って
いる人たちが離れていってくれたことが
本当に良かったなと思ってる。

夫や親に好かれてなくても
愛されていなくても、
別になんの問題もなかったわけです。

つまり、
私が自分と向き合うように、
ここに気づけるように、

「いい加減自分の声を聞けよ」って

本来の自分から思いっきり
嫌で見たくない現実を
突きつけられたわけです。

そうでもしないと私はずっと
大事な部分を見て見ぬふりして
自分を誤魔化し続けてたよね。
ってこと。

「私は愛されてないのかもしれない。」
「だから、いうことを聞かないといけない。」
「いい子でいないといけない。」
「好かれるように振る舞わなければいけない。」

そう思って、
32年間生きてたんだけど、

結果、本当に
言うことを聞かなかったら
縁を切られて捨てられたわけで、

もう一緒にいることは
できなくなったわけです。

当時だけでなく今も、
思い出すと悲しいし
寂しかったよねって、
頑張ったよねって泣いちゃうんだけど、
(これも思い込みなんだけど)

夫とか親とか、
そんなの以上に、

“私は自分自身にめっちゃ愛されてた”
っていうことを

思い出して泣くたびに
実感するんですよね。

それはつまり、
私が私である限り
私への愛も私からの愛も、
枯渇することがなく永遠に
満ち満ちているんだなぁ、
ということで

これを感じていると、
私はとんでもなく魂震える。笑

あのとき傷ついた自分の
思い込みとはまた別のところで

自分を構成している
自分の細胞全てに対しての
ありがとうと愛しさが込み上げてくるよね。

そんで、今まで長らく
自分のことを蔑ろにしててごめんねって
自分のことを、見て見ぬ振りしてて
ごめんねって思ってまた泣いちゃう。

夫や親からの言葉を思い出すたびに、
「あぁ、私は私を大切にしたいんだな。」
って何度も何度も思うんですよね。

「私は愛されない」っていう
思い込みを持っている人は
たくさんいると思うけど

そんな人に問いたい。

別に、
誰にも愛されて
なかったらなんなの?

誰かに
愛されてたらなんなの?

愛されてないんなら、
じゃぁどうしたいの?

っていう話です。

要は、個を、孤を、
楽しんだもんがちなんですよ。

私の言葉は結構きついので、
冷たく聞こえるかもしれないけれど、
気持ちがわからないわけじゃない。

なんならわかりすぎて痛いほどです。

けど、変わりたいと思って、
不倫問題も夫婦問題も自分の人生も、
現実を変えたくてこれを
読んでくれていると思うので
あえて言ってます。

私は共感も同調もしません。

なぜなら私はもうそこで
悩んでいないから。

(状況も心境もわかってます。)

なので、
どんな問題が起きたとしても
自分で解決していけちゃうこの意識状態を、
取りに来てください。

ではまた☆

 

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