このまま、ずっと一人かもしれない
「このままずっと一人かもしれない
と思うと寂しくて辛くてしんどいです。」
っていう相談がありました。
「誰も私のことを知らない」
「私がどこで何をしていても
誰も何も知らない」
「どこれ何をしていても
誰も何も気づかない」
「もし今日、どこかで
倒れて死んだとしても
誰一人それを知る人はいない」
「誰も私のことを
思い出すことなんてなだろう」
私も少し前までは
こんな感覚に何度も何度も
襲われて泣いていたことがある。
これは、単純に
ただ寂しいというよりも
もっと根深いところにある
孤独への恐怖だったように思う。
自分の存在そのものが
誰にも認識されていない
っていう壮大な勘違いを
していただけだったんだけど
当時は本当に悲しくて
辛くて辛くて苦しくて
この感覚から一刻も早く
抜け出したかった。
っていうか、
逃げ出したかった。
まぁ、たぶん
多くの人がこの感覚と
似たような感じの状態を
知っているだろうと思う。
4、50代でパートナーとの
別れや夫と離婚を経験した人とか
仕事を失った時もそうかもね
この先新しいパートナーに
出会えるか分からないとか
この先、何をして
お金を稼いでいけばいいのかとか
この先、どうやって
一人で子供を育てていくのかとか
「このままずっと
一人かもしれない」
という恐れは
こういう危機感のある状況が
まだ未経験だった時の想像以上に
我々に重くのしかかるよね。笑
で、厄介なのは、
孤独への恐怖そのものは
実は何も引き起こさない
っていう事実に気づけないこと。
ただ一人であることや
寂しさを感じているだけで
それ自体は何の害もないし
単純にただそうなだけ。
そう思うんですね、以上。笑
本当にそれだけなのに
我々人間は、そう思っている
自分が今ここにいるのに
そう思うことすら
受け入ることができず
なんとかしたがる。笑
で、もっと厄介なのは
その感情に耐えられなくなって
それをなんとかするために
それ起因で行動をしてしまうこと。
これだと、
その悩みのループからは
ずーっと抜けられない。
わかりやすい例でいうと
寂しさを打ち消したくて
合わない相手にしがみついたり
依存的な付き合いを続けたり
焦って結論を出そうとしたり
早く結果が欲しいような人ほど
自分のことちゃんと考えてます風な人ほど
ものすっごい遠回りをしている。
感情そのものより
その感情から逃げようとする
その回避行動が
人間関係や生活、メンタル
自分の人生全てを崩している。
つまり、問題なのは
感じている寂しさとか
一人だから云々の孤独ではなく
それらを感じ切れずに
途中で蓋をしてしまうこと
なんですよね。
私自身、この感覚を
夫とか親族が消え去った時から
何年も抱えていたんですよね。
でも、ある時からは
ただじっと見つめるようになったし
ただ感じてられるようになった。
逃げずに、消そうともせずに
「今、私は寂しいと感じている」
みたいなさ
今、思っているっていう
今のその事実だけを
今、ただ自分の中のそこに
置いておくようにしたんですよね。
不思議なことにそれを続けていたら
そうやって感じ切っていくと
どんどん深くなっていくんですよね
それに紐づく自分の気持ちや思考が。
で、ある地点でその感覚は
反転するというかなんというか(笑)
孤独の底まで潜っていくと
「あ、逆だったんだな」って
見えてきた景色があってですね
それからは、
「一人」「ひとり」「独り」
という言葉自体も概念も解釈も
かなり粗い解像度で使っていたな
っていうこと思いました。
血のつながった家族がいない。
パートナーがいない。
近くに誰もいない。
私たちはそういう状態を
ひとまとめに「一人だ」
って呼ぶ場合が多いと思うけど
でも解像度を上げて見ていくと
実際そこには無数のつながりがあって。
誰にでもすぐ
見えるであろうもので言えば
隣の部屋に住んでいる人。
隣の家に住んでる人。
上の階、向かいの家に暮らす人。
ペット、仕事の同僚、お客さん。
どこかのお店の店員さん、
スーパーで売られている食材を
作ってくれた生産者の人たち。
今、画面の向こうで
この文章を読んでくれている人。
人里離れた山奥に
ひっそり住んでいたとしても
電気や水道、使うもの、
食べるもの全てを通じて
誰かしらとつながっている事実。
この地球という箱の中にいて
社会という構造の中にいる限り
完全な「一人」という
状態なんて存在しない。
もっと解像度を上げると
さらに驚く景色に出会える。
そもそも私たちが「自分」
だと思い込んでいる肉体は
自分一人の力で保たれて
いるものではないですよね。
心臓を動かしているのも
呼吸をしているのも
別に自分で作ったものでもないし
意識してひとつひとつ動かして
コントロールしてるわけじゃない。
何兆個という細胞が
それぞれの役割を果たしながら
この一つの体を支え続けている。
自分という存在自体が
すでに無数の生命体の
営みの集合体なわけで
完全に一人で
存在しているものなど
そもそもどこにもない
っていうことなんですよね。
このように、
抽象的な全体像を見たうえで
解像度を上げて具体に細部を見る
っていうことを繰り返すことが
非常に大事なわけです。
こんなに多くのものに
支えられて生かされているのに
それに気づかず
孤独を訴えるのは
もったいないなぁと思う。
(過去の私も含めて笑)
でも、こういう
私の思考と考察に明確な
結論があるわけじゃないです。笑
答えを出すためというより
こうやって考えること自体が
目的になっている感覚に近くて
こういうのが私は好きなので
私の現実創造においては
すごく大事なプロセスだから
毎日毎日こういう思考を
繰り返しているんですよね。
表題に関係のなさそうな
話をしているように
思うかもしれないんだけど
結構、大事なことを
言っております。笑
これって、
自分の感覚と思考に
潜っていく作業なので
別に何回同じ問いに
戻ってきてもいいし
どれだけ考えていても
なんの問題もない。
これは停滞ではなくて
螺旋を描きながら
少しずつ違う高さから
同じような景色を見ていて
少しずつ変化が見えてくる
みたいな永遠に気づきの連続。
ただ、ここからがもっと大事で
これは今の感情と思考を
楽しんでいる領域の話で
同じ「ぐるぐる」でも、
人間関係やお金や仕事といった
現実世界の行動や結果を伴う
領域にまで及ぶと話は変わってくる
っていうことなんですよね。
寂しい、つらい、苦しい
しんどい、大変、もう嫌だ。
この感情と思考を意図的に
認識して感じて思考するのと
感情と思考に支配されているのとでは
全く状態が違いますよね。
感じることや思考することと
現実として動かすために使う
感情と思考する領域ってのを
きちんと分けて扱うことが
必要になってきます。
感じることというのは
途中で怖くなって蓋をすると
その感情は行き場を失ったまま
いつまでも同じ場所にとどまる。
逃げてても全然いいんだけど
逃げずにただ感じて向き合うと
ある地点で、
その感情に紐づいていた
自分の思い込みや解釈が
どんどん意味を失っていって
それぞれの気づきが起こる。
不倫をやめてほしい。
夫とまた仲良くなりたい。
離婚したいけど怖い。
不倫は嫌だけど離婚はしたくない。
一人になったら生きていけない。
どう稼げばいいのかわからない。
何ができるのかわからない。
何がしたいのかわからない。
新しいパートナーができないかもしれない。
ずっと一人は嫌だ。
これらぜーんぶ
同じなのです。
別に、
会わなくても
嫌われていても
誰も思い出してなくても
好かれていても
愛されていると思っても
誰といても誰もいなくても
他人やお金とかっていう
外部的な何かの要因で
自分の何かが
欠けるわけじゃない。
一緒にいてもいなくても
すでに満たされている。
それは執着でも我慢でもなく
ただそういう状態として
そこにあるっていうだけで
孤独だと感じるそれさえも
豊かなことだと感じてほしい。
今、孤独に押しつぶされそうな
人がたくさんいるかもしれないけど
そういう寂しさや虚しさ、
孤独や焦り、怖さや不安も全部
急いで消そうとする前に
ちょっと勇気を出して逃げずに
今の感情を感じ切ってみてほしい。
その先に、きっと、
今とは違う景色が
待ってると思うんだよね。
私がそうだったから。
夫婦関係に振り回されない
自立した理想の私になるための
無料相談のお申込みはこちら⬇️
![]()

