昔の私は、
いつも誰かの時間の中で生きていて
いつも誰かの予定ありきで生きていて
いつも誰かという存在ありきで
自分の人生を生きていました。
数十年もの間、
自分の感情や自分の行動を
自分で意識して意図的にしていたことなんて
何もなかったんです。
“自分で選んでる気でいた”
“自分の好きにしているつもり”
なだけだった。
起きる時間も飲み物も
着る服や履く靴、持つ鞄、
食べるものや仕事をする時間
仕事の内容、ランチの時間
買い物をする場所、夜ご飯のメニュー
お風呂に入ることや寝る前にすること
寝る時間、寝る場所も
全て自分で選んでしていることのようで
実は全て、自分以外が決めた
枠の中で私は生きていました。
何もかもを自分で
意識的に選択してきたことなんて
今思い返してみると全然見当たらなくて
夫の不倫発覚以降、
完全に独りになった時に初めて
いかに自分が他人軸だったか、、、
ということに気付いた。
そして、いかに自分が、
“惰性でただなんとなくで、
何十年も生きてきてしまっていたのか”
ということにも気付かされた。
自分の感情も自分の好きなことも
自分のことが何もわからなくなってしまってた。
今まで何をどうやって選んできたのか?
普通ならたくさんあるであろう
心に残るような思い出も、感情も
十数年分の記憶も、何もないや、、、
っていうことにも気付かされて
空白のような時間を過ごしてた自分を
とんでもなく責めました。
いくら自分を責めても
後悔しても、経過した時間は巻き戻せない。
けど、
『今この瞬間からの一瞬一瞬は、
意識していればちゃんと自分で認識できる』
私が初めて、このことに気付いたあの時に
感じていた無価値感や、絶望感、
寂しさや屈辱、孤独感もそうだし
自分を責めていた苦しさは
もう二度と味わいたくない感覚です。
だからこそ、
私はこうして毎日、
自分が思うことや気付き、
意識していることを発信しています。
人間は目の前のことに気を取られると
「意識しよう」と思っていたことさえも
すぐに忘れてしまうので
毎日毎日意識的に
「意識をすること」を
習慣づけていくことが大事。
そのためには、まず気付けるように
気付くことを習慣化していく必要がある。
「今どういう気持ちなのか?」
「なんでこれをそう思ったのか?」
「なんかちょっと首が痛いな」
「微妙に左足が重い気がするな」
みたいな感じで、
5分おきくらいに
自分の感情や感覚を意識してみると良きです◎
人間は1日に、
何万回っていう思考が働いているので
全部をキャッチできることなんてできないけど
意識していれば、
「あ、そうだった」って
思い出したその瞬間の感情や思考は
今の自分がキャッチできますよね。
その繰り返しで、
自分に気付く頻度が増していくと
もっともっと自分の心地良さを知りたくなるし
もっと自分の心地良さを探そうとする頻度も
その心地よさを与えたくなる頻度も増します。
結果、いつでも気がつけるようになるし
いつでも自分を大事にしようとできるし
自分のことも好きになるし大切に扱えるし
自己受容も自己肯定感も高まり現実もうまくいく。