どうしたいかって聞かれるのが一番困る
「自分がどうしたいかが一番大切」
よく聞く言葉だし
私も結構な頻度で言うけど、笑
正直、
それがわからないから悩んでんじゃん。
わかんないから聞いてんじゃん。
ってなりますよね?笑
私もそれ、思ってました。笑
夫の不倫が〜
不倫相手が〜
親が〜子、供が〜、
兄弟が〜、上司が〜
お金が〜、時間が〜
って
大量の不平不満、愚痴を
ブーブー言っていても
いざ自分に
「で、私はどうしたいの?」
って聞いてみると、
……全然わからない。
頭が真っ白になる。 何も出てこない。
過去の私も完全にそうでした。
自分がどうしたいかが
何もわからなかった頃の私は
何を決めるにも、
・これで合ってるのかな
・間違ってないかな
・後悔しないかな
・嫌われないかな
そんなことばかり考えていて。
「自分がどうしたいか」なんて、
考えたこともなかったし、
考えようとしても怖くて考えられなかった。
だって、
自分の気持ちを優先して
失敗したら
もう立ち直れない気がしていたから。
だから私はずっと、
「正しいかどうか」
「世間的にどうか」
「相手から見てどうか」
を
基準に選び続けていた。
結果、どうだったかというと、
・何を選んでもしんどいまま
・何をしても満たされないまま
・自分で決めたはずなのに、納得できない
・常に疲れている
・何も現実変わらない
で、最後は、また、
「もうどうしたらいいかわからない」
っていう同じ状態に行き着いた。笑
何度か繰り返したあと、
「あー、方向性がズレていた」
っていうことに気づいたんですよね。
私がやっていた
「どうしたいかを考える」って、
・正解はどっち?
・間違ってないのはどれ?
・我慢すれば丸く収まるのは?
・傷つかないで済むのは?
っていう感じで考えていて
「自分で自分の理想の人生を創る」じゃなくて
「常識の範囲内で生きて誰かに評価される人生」
っていう感じの選び方なんですよね。
そりゃあ、楽しくもないし
理想も他人ありきでしか出てこない。
これじゃぁ何も変わらない。
だから、向きを変えたわけです。
「正しいかどうか」じゃなくて、
・何が好きか
・何が一番嫌で苦しいか
・何を考えるとホッとするのか
・どんな時間が今一番良いか
そういう、自分の感覚ベースの問いをして
最初は本当に小さなことを出していった。
「今どんな気持ちなのか?」
「今何を考えているのか?」
「自分は本当はどうしたいのか」
「何がどうなら良いのか?」
をすごく聞いて、
それを大事にし始めて
・無理とかしたくない
・一人でいたい
・誰とも話したくない
・それはやりたくない
・こっちの方が少し楽だな
それをこれまでのように
「自分勝手」とか
「わがまま」って否定せず、
「そうなんだね」って
そのまま受け取るようにした。
すると不思議なことにですね
・決断が前より苦しくなくなったし
・後悔することがまじで減ったし
・人の言動に振り回されにくくなったし
・「私はどうしたい?」が日常のなかで
何回も自然に浮かぶようになったし
楽になって、生きやすくなって
毎日が穏やかになっちゃったんですよね。笑
現実が急に、穏やかになったり
キラキラしてきたたわけじゃない。
でも、自分の人生を生きている感覚
っていうものを感じるようになってきた。
少しずつ、戻ってきた。
っていう表現が近い。
自分に許可を出すということ。
・自分に聞いても何も出てこない
・ワクワクなんて感じない
・何を選んでも苦しい
・頑張っても何も変わらない
それはずっと、
自分以外を基準に生きてきたから。
ここから先、どう生きるかは
自分次第でどうにでもなる。
だから、どう生きるのかや
理想を思い描くよりも前に、
まずは
「私は何が一番苦しいのか?」
「本当は、何をやめたいのか?」
嫌なことを言語化することからで十分。

