誰かにとっての本当と
自分にとっての本当は違う。
誰だって誰かから見たら正しいし、
誰かから見たら間違っている。
誰かから見たら変だし、
誰かから見たら素敵なのだ。
正解を人に求めるのは、
正解を社会に求めるのは、
正解を誰かに求めるのはなぜか?
そもそも正解と不正解は
誰のどんな基準なんだろうか?
なぜか、心のどこかで
「自分は間違っている」
という前提がないだろうか?
何を自分の本当にして、
何を自分の真実にして、
何を信じて生きているか?
見ているものが違えば
持っている言葉が違えば、
してきた経験が違えば、
全く違う世界を見て、
全く違う世界を知って、
全く違う世界を生きていることになる。
あなたの場所からあなたが見ているもの、
あなたの場所であなたが感じていること、
あなたのすべて、あなたそのものが
唯一無二だってことを
自分が一番わかってるのに
自分が一番否定している。
どんなことに対しても、
私の本当は何なんだろう?と
いつも自分自身に問いかけてみるといいよ。
本当の自分は他の誰でもなく
自分に気づいて欲しくて
自分に見て欲しくて
自分にわかって欲しくて
自分に愛されたいのだから。