夫に嫌われることが怖かった私が、『いらない』と言われて気づいたこと
「嫌われたくない」
「これ以上嫌われたらどうしよう」
嫌われることが、
とてつもなく怖かった。
夫に嫌われたくなくて
自分の気持ちを
押し殺していました。
必要とされたくて
「いうことを聞かないと」って
頑張っていました。
「これ以上嫌われたらどうしよう」
「捨てられたら終わりだ」
「もういらないって言われたら…」
そんな恐怖が
いつも頭の片隅にあって
夫の顔色を窺いながら
自分よりも夫の機嫌を気にして
空気が悪くならないことを
最優先にして生きていました。
でも結局思いっきり
すーごく嫌われました。笑
夫にも、義両親にも、
自分の両親や兄弟にも。
今まで周りにいた人間に
「お前はもういらない」と
はっきり言語で言われて、
縁を切られました。
私が自分の人生を
自分で生きていきたい、
幸せになりたい、
楽しく自由に行きたいと
望んだが故に
周りにいた人間たちの
言うことを聞かない私は
今まで一緒にいた
人間たちにとってはもう
私と関わるメリットがないので
不要になったわけです。
あんなに嫌だったことが、
あんなに怖がっていたことが、
現実になったんです。
そのとき思ったのは、
どれだけ怖がっていても、
どれだけ嫌だと思っていても、
そうなるときはそうなる。
ならないときはならない。
ただそれだけのことだった、
ということです。
そんで、
嫌われたからといって、
とくになんの問題も
ありませんでした。
「お前はもういらない」
と両親や夫に言われても、
これまで通りに時間は進み
社会はそのまま普通にあって、
私もとくになにもしなくても
そのままで生きていた。
むしろ、それ以前よりも
かなり楽に、ゆるく。
当時は本当に辛かった。
悲しかったし、苦しかった。
でも、今になって思うのは、
あの現実が起きなければ
私は自分の力で自立して
生きていくことがずーっと
できなかったかもしれない、
ということ。
嫌われることを恐れて
夫に合わせ続けていたら
今も誰かの顔色を窺いながら
誰かの機嫌を気にして
誰に何を思われるかと恐れて
生きていたかもしれない。
「あぁ、そんなのまじで
ストレスでしかないわ」って
今の私なら思います。
嫌われることへの
恐怖の正体は何かというと、
「自分一人では生きていけない」
というただの思い込みです。
誰かに必要とされていなければ、
誰かに愛されていなければ、
自分には価値がないという
ただの、思い込みです。
だから嫌われることが
あんなにも怖かった。
でも実際に「いらない」と
言われて気づいたのは、
別に誰かに
必要とされなくても
誰かに愛を求めずとも
自分は自分の力で
楽に生きていける、
ということでした。
その事実が、
私を本当の意味で
自由にしてくれました。
一つの言動で離れていく人は、
元々そこまで大事に思ってないし
深く繋がっていなかっただけです。
そして、そういう人が
自分から離れた分だけ、
本当に大切な人との
時間は増えていきます。
人生という大事な時間を、
嫌いな人に合わせることに
使うのは非常にもったいない。
自分を嫌ってくる人に
必死に対応する必要はないし
自分を都合よく動かそうと
してくるような人に
対応する必要もない。
嫌われることを恐れて
どう思われるかが不安で
自分を押し殺しているサレ妻さん、
嫌われても
大丈夫です。
夫に愛されなくても
全然大丈夫です。
なんの問題もないです。
私がそうだったから
断言できます。
むしろ、
嫌われることを恐れて
自分を失い続ける方が、
よっぽど怖いことだと
今は心底、思っています。
「自分を取り戻したい」
「顔色を窺うのをやめたい」
という方は、
自分を最優先に、
大事にしていきましょう♡

