【連載②】脳と身体と意識は、何が違うのか
脳と身体と意識は、何が違うのか
前回、
私は「存在とは何か」を
考え始めてしまった、と書いた。
前回の記事はこちら
【連載①】「存在とは何か」を考え始めてしまった話
ラムが動かなくなった。
でも「存在が消えた」とは
どうしても思えなかった。
そこで浮かんだのが、
脳と身体と意識は、
それぞれ何を担っているのか?
という問いだった。
まず、身体は何をしているのか
身体は、単なる
“入れ物”ではない。
呼吸をし、血液を巡らせ、
酸素を送り、老廃物を排出する。
でもそれだけじゃない。
温度、匂い、音、触覚。
世界の情報を受け取り、
その刺激を脳に届ける。
身体がなければ、
脳は何も感じられない。
つまり、
身体は「世界との接点」だ。
では、脳は何をしているのか
脳は、その身体から
届いた情報を処理し、
記憶と照らし合わせ、
次の行動を選択する。
いわば、
情報統合装置。
脳がなければ、
身体はただの生体反応になる。
でも、ここで
疑問が出てくる。
脳があれば
「その存在」になるのか?
もしラムの脳が
完全に保存されていたら、
それはラムと言えるのか?
意識はどこにある?
さらにややこしいのが、意識。
意識は、
脳の中に“ある”のか?
それとも
脳が活動した結果、
立ち上がる“現象”なのか?
今の科学では、
意識は脳活動に強く
依存しているとされている。
でも、
脳=意識
と完全に言い切れる
わけでもないよなと思う。
意識は、
脳だけで完結せず、
身体や環境との相互作用の中で
生まれている可能性もある。
動いていない=存在していない?
ラムの体は、もう動かない。
心臓も、肺も、
生命を維持する機能は止まった。
それは
「生物としての死」。
でも、
構造は残っている。
情報は残っている。
動かないことと、
存在しないことは
本当にイコールなのだろうか。
「プロセス」と「構造」
ここで一つ、
自分なりに整理してみた。
・構造:脳や身体の物理的な形
・プロセス:そこを流れている活動や相互作用
生きている状態は、
プロセスが動いている状態。
死とは、
プロセスが止まった状態。
でも、構造は消えていない。
もし「存在」を
構造で定義するなら、
ラムはまだ“ある”。
もし「存在」を
プロセスで定義するなら、
ラムはもう“いない”。
どちらが正しいのかは、
まったく、分からない。笑
それでも、問いは残る
私は今、
「生きている」とは何か?
を考えている。
動いていることなのか。
反応していることなのか。
関係していることなのか。
あるいは、情報として
保存されていることなのか。
答えは出ない。
でも、問いを持ったまま
進んでいくことはできる。
別に、答えを出す必要はないし
わからないまま進んでもいい。
意識は脳の副産物なのか、
それとも別のレイヤーなのか?
そこをもう少し考えて
自分を掘ってみたい。
あ、これも全然
結論のためじゃないです。
ただ、
考え続けるために。
・意識=脳活動説
・意識=情報場説
・汎心論
いろいろ情報を見て
たくさん思考していたい。
んで、私自身の生に
活用してみたいものだ。

