2022年、出会ってくださった皆さま
本当にありがとうございました。
2023年本年も、
どうぞよろしくお願いいたします。
「明けましておめでとう」と挨拶をすることを
2020年を迎えた時からやめました。
2019年の年末に調べたところ
“無事に新年を迎えられたことを祝うために
「明けましておめでとう」という挨拶を交わす”
という意味であることを初めて知ったのですが
それまでは、恥ずかしながら、
マジで何も考えずに
「明けましておめでとうございます」と言っていました。
それが普通だったから。
ですが、
自分が人生のどん底で、絶望を感じていた時
今までの自分の普通が全て壊れて無くなったんですよね
それが2019年だったので、2019年の年末に
「良いお年を」ということも違和感を感じたし
新年になったら
「明けましておめでとう」ということに
とてつもなく拒否反応が出ました。
「何がめでたいんだろう?」
「何もおめでたくない」
って思ったからです。
単純に、自分が苦しかったから
浮かれている人たちが気に入らなかった
というのもありましたけど笑
「全然めでたくないわ」って思ってた
世の中や、街ですれ違うカップルや家族は
それぞれ幸せで楽しそうで、
「バカみたいに笑ってんじゃねぇよ」とか思ってましたもん。
「こっちの身にもなれよ」って
私とは何の関係もないし何も知らない人たちなのに
外側の世界に向けて悪態ついていました。
あまり良くない意味で、
自分のことしか考えていない状態だったわけです
ですが、
これまでの自分の生活が崩壊して
自分には何も無くなったとか、
未来に希望なんてないという状態だと
みんなそうなるっていうことも
多くのサレ妻たちを見ていて、
多くのサレ妻たちと関わってきてわかったことです。
話がそれましたが、
どん底時代からいろんなことを学んでいる中で
世の中のイベントって何のためにあるものなのか?
って考えたりすることも結構多かったんですよね。
GWや夏休みは旅行に行くとか、
年末だからゆっくりするとか、
年末年始だから実家に帰るとか、
出産は実家の方でとかさ、
昔から「なんで?」って私は思ってたほうなんですけど
自分の”普通”が崩れて以降は、
さらにその「なんで?」って思うことの量と幅が
尋常でないくらい増えました。
ほとんどが、
過去の人の情報でできている過去の習慣なんですよね
一年が終わり、新しい年が始まる
夜が来て終わり、朝を迎える
太陽が出て、沈み、月が出る
どれも本当にありがたくて、
自然の偉大さを感じて
感謝しか出てこない。
この感覚が、今の私にとっての”普通”です
“普通”というのも、
人によって違うし、
フェーズによっても変わっていく
世の中にはいろんな人間がいて
人間以外の動物もいて
それぞれの環境、
それぞれの状況、境遇
それぞれの場所で生きている
というか、
豊かな地球と
細胞のおかげで生きていられている
“普通”の生活も
“普通”の言葉も
“普通”の感覚が違うんだから
それを知ってるから
世間一般の”普通”には
「果たしてそれは本当か?」
「真実なのか?」
「なぜ?」
って疑問を持つといいですよね
自分で意味を考えて、
自分の行動の理由を理解できるから
というような感じで、
年末年始の定番の挨拶だからといって、
いろんな状況があるのだから、
当たり障りのない適当な言葉は
私は言いたくないと思っていて、
私自身に不倫とかの悩みがなくなった後も、
私自身が特に何かに困ることというのがなくなった後も
私は「明けましておめでとう」とは言わないできました。
っていうお話しです。
年が変わったことは事実
だから、「明けましたね」でいい
2023年が今年、今年は1年
だから、「今年もよろしくお願いします」でいい
私の超個人的な考えなので悪しからず。
誤解が生じると微妙なので書いておきますが、
文化や習慣に対して批判的なわけではないです。
ちなみにですが私は
学生時は日本文化を専攻していた人間で、古典文学の研究をしていたほど、日本の文化や歴史、文学が好きです。
なので、日本の歴史や文化、昔からの慣わしを否定しているわけではありません。
自分の身に起きたことで知り得た
イベントなどの物事へのある種の感情は
きっと他者にも起こっているであろうと考えられるので
過去の自分と同じような状況にいる方達のことを思うと
「おめでとう」とは言えないよなっていうだけです。
別の捉え方をすると、
まさに「おめでとう」でもあるんですけどね。
だって、今どん底なら、後は上がるだけだから。
伸び代しかない状況ってことだから。
それって、「やったね」「おめでとう」ですよね。
ということで、
年末年始のお話はここまでにします。
ではまた